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塩田八幡宮は神戸市北区に鎮座し 三田市に 隣接しております

TEL. 078-985-2863

〒651-1502 兵庫県神戸市北区道場町塩田3238番地

塩田獅子舞保存会

記載は塩田獅子舞保存会まとめを参考
但し 塩田八幡宮項目に関しては 神社御由緒より


  獅子舞

     塩田獅子舞保存会

  塩田八幡宮

     塩田神楽獅子

  明治以降の神楽講

     神楽講の中断

  神楽講の復活

     獅子舞の種類

獅子舞

いつの世にも人々は娯楽をもとめ それを伝える芸人がいました
奈良時代に中国(唐)より伝来した「散楽」に源を発し 平安時代に滑稽なものまね芸を主体とした「猿楽」が また寺院の呪師の芸に影響され「お能」と云われる芸が鎌倉時代初期に出来ました
農家の田植行事の囃子事等の芸能から発達した「田楽」も能を演じるようになりました
これらのものが武士階級では能に 一般庶民的な流れが獅子舞の源ではなかろうかと思われます
シシとはライオン系のものと 固有の鹿 猪等の獅子系の二系統があります
広く野獣の総称でもあり 古代精霊が田畑を荒らさぬ警約を神に捧げたその演技からきています






塩田獅子舞保存会

獅子舞と神社とは従来より同時に語りつがれている傾向にある
道場町塩田 塩田八幡宮の由諸を記し 塩田獅子舞の来歴をまとめたい






塩田八幡宮

御祭神 応神天皇・神功皇后・玉依姫命・御歳神

創始不詳ではあるが 大同年間(810頃)には「大歳神社」と称し 御歳神を奉祀すると古記録に見える
その後 山城国石清水八幡宮より応神天皇・神功皇后・玉依姫命の御神霊を勧請合祀され 石清水八幡宮別宮 塩田八幡神社と称せられた
攝津国塩田庄なるこの地は 74代鳥羽天皇(1103〜56)の院政期 后妃の庄園ともなったが 保元3年(1158)には石清水八幡宮并に宿院極楽寺領庄園となり 神宮寺としての体裁を成した
延元元年(1336)には摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たが 応仁の乱(1467〜77)により社殿その他の建造物を焼失
明応8年(1499)に社殿を再興し 享禄元年(1528)には再度石清水八幡宮より御宝体を拝受奉斎し得た
守護職赤松氏の尊崇は歴代篤く 戦陣に於いては常に当宮を祈願所とし 寺社領のみに留まらず 梵鐘等の寄進も得 更には徳川幕府下 明暦3年(1657)社殿再建時には三田藩主九鬼隆昌より浄財寄進があり 九鬼家当主代々よりの奉納寄進が続いたものである
維新回転の業は当宮にも変革をもたらし 従前の神仏習合を改める目的の神仏分離令(1868)により神宮寺が廃され 明治5年(1872)には村社に列し 大正4年(1915)10月、神饌幣帛料供進神社の指定を受けた
大正11年(1922)11月郷社に昇格 昭和38年(1963)社名を「塩田八幡宮」と改称して現在に至る

現在の御本殿は 明暦3年(1657) 桧皮葺御所棟三間社流造として再建されたものであり 三田藩主九鬼隆昌による浄財寄進もあり 棟札も現存するが 昭和58年(1983)御本殿・拝殿の大修築に伴い 銅板葺屋根と改める
御本殿は 北は三田 南は道場町塩田の町並みを眺望出来得る山の南面中腹に御鎮座する
それを取り囲む山林区画を御神域とし 山裾の社務所より約150段の石段が神社御本殿へとつづく
また御本殿周辺及び石段脇には11の御末社が鎮座する






塩田神楽獅子

塩田八幡宮にいつの頃から獅子舞がとりいれられたのか定かではない
ただ上記の明暦3年に神殿を再建した際 獅子舞を舞ったものと推定される
宝暦4年(1754年)には大般若経 三百巻転読し放生会をした
この書類に「神楽講」の者共云々とある
又 水引箱(神楽講記録簿納入箱)には嘉永元年(1847年)とある (箱はあれど 書類なし)






明治以降の神楽講

明治25年(1892年)より神楽講の記録法がある
その凡例は下記の通りである
1. 従来からの慣行で旧八月当村氏神の祭礼に獅子舞を奉納する
2. 講員は満14才〜25才の男子が勤める
  但し 年限中でも結婚したら脱いでもよい
3. 本講はこの村に住む若者が義務を重んじ当然の勤めとして受け止めることから成り立っているので転籍等村外へ移った以外は脱退することが出来ない
4. 稽古期間中当番を決め酒 飯を食う時は次の看を持参する
  里芋(一重一杯) 南京(一重一杯) 蚕豆(二番重一杯)
5. 本講は川北 城谷 南所から監督が一人づつ出て講員の動作や品行を監督する






神楽講の中断

第二次世界大戦(1939〜1945年)の 諸相混迷の時期にも獅子舞は続いており 秋祭りの花形であったが 政治の変化 物資の不足 信仰の自由等に苦難の道を歩みながら獅子舞を奉納し続けた
しかし 昭和38年(1963年)講員の年令が30才を越えても後継青年がなく 壮年の講員さえも減少の一途を辿り残った人員では従来の獅子舞を維持する事が不可能となり逐に中絶となる






神楽講の復活

江戸 明治 大正 昭和と三部落約63戸で秋祭りに五穀豊穣並びに家内安全を祈願し奉納
講員の親睦等を目的に活躍した神楽講は前項に理由に中絶しましたが 郷土芸能の堅持については時世と共に高まり 地区内 古老 中堅又各関係機関の並々ならぬ努力により14年振りに昭和52年に復活し 名も改め「塩田獅子舞保存会」として新しい一歩を踏み出しました
活動については塩田八幡宮 秋の大祭への奉納 会員の親睦等を目的とし古来の芸を伝承する

・昭和52,54年 北区代表 神戸市長漁業祭出演(於湊川公園)
・昭和55年 神戸市民族芸能伝承団体認定を受ける
  北区長尾町上津 熊野神社神楽保存会 淡河町南僧尾 淡河神楽獅子保存会
    (能楽ワキ方福王滝の流れ)と肩を並べる
・昭和55年9月 神戸市より「地域活動賞」受賞
・55年 神戸サンTV局より「帰って来た獅子舞」と題して放映取材を受ける






獅子舞の種類 (全曲 約2時間30分)

1.荒神祓(コウジンバライ)かまどの神をたたえ、清める。
2.剣の舞(ツルギのマイ)悪魔払いの意味をもつ。一方(イッポウ) 三方(サンポウ)地吹き(ヂフキ)
3.三番叟(サンバンソウ)
4.五尺踊り(ゴシャクオドリ)
5.猿獅子(サルジシ)
6.花獅子(ハナジシ)
7.天狗獅子(テングジシ)
8.継獅子(ツギジシ)

バナースペース

塩田八幡宮

〒651-1502
兵庫県神戸市北区道場町塩田3238番地

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