【神社周辺の様子】 ![]() ![]() 当宮御本殿は、北は三田、南は道場町塩田の町並みを 眺望出来得る山の南面中腹に御鎮座する。それを取り囲 む山林区画を御神域とし、山裾の社務所より約150段の石段 が神社御本殿へとつづく。 ![]() ![]() また御本殿周辺及び石段脇に はの御末社が鎮座する。現今、三田市街周辺並びに神戸 市北区域の住宅都市化が急速に進み、その影響か、樹木 等自然物減少の傾向にはあるが、御神域となる山林は未 だその影響を受けることなく、四季折々、多くの生命の 息吹を楽しむことが出来る。 ![]() ![]() 往昔より 厄除・交通安全等の御利 益を求め、年間多くの参拝者で賑う。 ![]() |
| 【月見橋】 鎌倉時代の私撰和歌集である『夫木和歌抄』に下記の歌が収められている。 『岩高美塩田廼川尓船浮而指上里太留月乎見留哉』 この歌は鎌倉幕府第六代将軍である中務卿・宗尊親王(以下宗尊親王)の詠 んだものである。 現在、当宮御旅所の南方に、有馬川の本流である塩田川の 水流があり、そこに「月見橋」が架かる。往昔、多くの歌人がその情景を詠み、 先述の歌もその一つとされる。 ![]() 『攝津志』(摂津志・攝津誌)によれば、そ の年月を詳らかにする記載は無いものの、宗尊親王が当宮に詣で、この歌を 詠まれたことが明らかとされ、また平安時代の歌人、太宰権師中納言民部卿 ・在原行平(在原業平の兄。以下、行平卿)もその一人とされる。 『摂陽群 談』には、「月見橋有馬郡塩田村ノ西ニ在リ。所傳日ク、矢田部郡多井畑邑 ハ松風(観阿弥原作・世阿弥改作の謡曲「松風」、歌舞伎の題材)・村雨二女 の旧栖ナリ。行平卿帰京ノ後、恋シキ都ノ方ハ何地ナラント、此ノ橋二出テ、 月ヨリ外ハ友モナシナント、戯タルノ処ナリ。因テ月見橋ノ号アリト伝ヘリ。 今モ猶秋ノ夜ノ興アル処ナリ」とあり、『摂津名所図會』にも同意の記載が ある。また行平卿、播磨の国守であった仁和寛平(885〜889年)の頃、武庫 郡にある父君阿保親王の御墓に詣で、同時に幾度と当宮に参詣したとされる。 塩田川は、元は当宮の山裾を流れており、現在そこには記念碑が建立されて いる。 |
【御神木】![]() この写真は拝殿向かって右にある御神木です。幹の根元が重なり合っています。 写真の右が桧(ヒノキ)で、左が山桃です。 享禄元年(室町時代後期の西暦1528年)京都山城国男山より 八幡三神を勧請して、石清水八幡宮の別宮となり、塩田八幡宮と改めた頃より生えており、樹齢480年以上経ています。 |